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トマス・モウブレー (初代ノーフォーク公) : ウィキペディア日本語版 | トマス・モウブレー (初代ノーフォーク公) 初代ノーフォーク公トマス・モウブレー(Thomas Mowbray, 1st Duke of Norfolk, 1366年? - 1399年9月27日?)は、14世紀イングランドの貴族である。第4代モウブレー男爵ジョン・モウブレーとエリザベス・セグレイヴの次男。ノーフォーク公爵夫人マーガレット(ノーフォーク伯トマス・オブ・ブラザートンの娘)の外孫。初代ノッティンガム伯爵ジョン・モウブレーの弟。薔薇戦争末期にノーフォーク公を叙爵されたジョン・ハワードは外孫。 1379年に兄のジョンが急死したのでモウブレー男爵とノッティンガム伯を継承した(実際の継承時期は1383年)。1383年にガーター勲章を受勲されたが、リチャード2世の専制に不満であり、1387年にリチャード2世の叔父グロスター公トマス・オブ・ウッドストックと組んで挙兵、寵臣達を追放した。しかし、その後はリチャード2世に重用され、1397年にノーフォーク公爵を叙爵された(存命の祖母マーガレットはノーフォーク公爵夫人と呼ばれた)。同年、反逆罪で逮捕、カレーに拘留されたグロスター公を監視した(グロスター公は同年に死去)。 ところが、1398年にリチャード2世の従弟のヘンリー・ボリングブロクに反逆罪で訴えられ、リチャード2世によって2人とも国外へ追放されてしまった。翌年ボリングブロクは挙兵してリチャード2世を廃位に追い込み、ヘンリー4世として即位したが、トマスは同年ヴェネツィアでペストに罹り客死した。 ノーフォーク公爵は消滅、長男のトマスにノーフォーク伯、ノッティンガム伯とモウブレー男爵が継承されたが、1405年にノーサンバランド伯ヘンリー・パーシーやヨーク大司教リチャード・スクループと組んで反乱を起こして処刑される等、モウブレー家の不振は続いた。ノーフォーク公が復活するのは、次男のジョンがノーフォーク公に叙爵された1425年である。
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